2007年度後期 Murakami-Sano asia visiting Fellowship インド訪問記

千葉大学大学院医学研究院整形外科学
中村 順一

この度、第4回Murakami-Sano Asia Visiting Fellowに選出され、2009年1月17日から1月31日までの16日間インドKasturba Medical College, Manipal Universityを訪問しましたので、ご報告します。

Murakami-Sano Asia Visiting Fellowshipはいわゆる、発展途上国のアジア諸国の小児整形外科施設における研修、あるいは現地での小児整形外科医療活動に対する指導・支援を通じ、国際貢献に寄与することを設立の理念としています。インドは近年めざましい経済発展をとげていますが、いまだに多産多死型の社会であり、貧富の差も激しいことから、十分な医療を受けることができないこども達がたくさんいます。

インドへの道のりはまず都内のインド大使館でVISAを取得することから始まりました。成田空港発、香港経由のキャセイパシフィック航空でインド内陸のBangaloreに入りました。Bangaloreは南インド有数の大都市で日本企業も進出しています。最終目的地へは国内便に乗り継ぐ必要がありましたが、深夜に到着したため、次の朝まで待たねばならず、ムンバイテロの直後でもあったため夜に空港の外に出るのは危険と

判断し、そのままベンチで一夜を明かしました。早朝の便でMangaloreへ飛び、そこから車で約1時間揺られ、ようやくManipalに到着しました。移動に24時間以上かかりました。

Kasturba Medical Collegeはインド有数の私立医大です。設立は1953年で創立者はTMA Paiです。Manipal Universityはドバイ、ネパール、マレーシアにもキャンパスを有する大きな組織だそうです。キャンパス本部は新しく建てられたばかりで、たいへんお洒落でした(図1)。円柱状のビルの一部がくりぬかれて空中庭園になっており、そこが総長の部屋でした。図書館のデザインも凝っていて、エレベーターホールは吹き抜けになっており、光が降り注ぐ、とても明るい構造でした(図2)。大学病院は創立以来、増改築を繰り返して大きくなってきたので内部は迷路のように複雑な作りになっていました。

整形外科は5つのユニットに分かれ、Hand、Pediatric、Spine、Arthroscopy、Joint replacementのそれぞれにProfessorが1人、Associate Professorが1人、Assistant Professorが2人配属されていました。さらにレジデントが各ユニットに3-4人いるので、整形外科全体としてはスタッフが40人くらいの大所帯でした。現在Spineの教授が主任教授とのことでしたが、各ユニットはほとんど独立して活動していました。
Pediatiric のメンバーはProfessor Benjamin Joseph、Associate Professor Hitesh Shah、Assistant Professor Shamsi Abdul HameedとSiddesh NDでした。Prof. Benjaminは大変有名な方ですが、ニュージーランドへ長期出向中とのことで、あいにく不在でした。3人の若手スタッフはとても仲が良く、お互いに相談しながら協力して仕事をしていました。内反足、先天性股関節脱臼、ペルテス病、脳性麻痺、脚延長はそれぞれ専門外来として別の枠を設けていました。手術日は月曜日と金曜日の週2日でした。Pediatricユニットの年間の新患数は1800例、年間の手術件数は600-700例とのことでした。

インドには日本ではみる機会が少なくなったといわれる放置例や重症例がたくさんいました。好意により手術には手洗いして入ることができました。3歳の男の子の先天性股関節脱臼の放置例の手術では、Smith-Petersenの前方アプローチで観血整復を行い、転子下で大腿骨骨切りをして、経皮的に転子部から骨頭臼蓋を貫いて骨盤にKワイヤで固定し、Hip Spica Castを巻いていました。Transarticularに整復固定する、この術式は衝撃的でした。術後の固定肢位は患側は股関節中間位伸展位、膝も伸展位で固定していました。レントゲン的には結局転子下での内反骨切りをした感じになります。ギプス固定は3カ月間で、7-8歳までは内固定なしでも骨癒合には問題ないとのことでしたが、骨切りした骨同士が接触していなかったり、クランク状に骨癒合しても全く気にしない様子でした。手術機械はほぼ日本と同じでしたが、Kワイヤは箱の中から適当なサイズを選んで使っていました。ドリルは旧式の手回しドリルを使っていましたが、自動のドリルしか見たことがなかった私は、大変驚きました。反面、うらやましい点としてはギプスの下巻きに肌にやさしいピュアコットンを使っていることです。インドは綿花がさかんなので化学繊維の下巻きよりコストがかからないそうです。
インドのもう1つの特徴として骨感染症が多いことが挙げられます。たくさんの症例をみせていただきました。化膿性股関節炎後の変形や上腕骨骨髄炎、下腿骨骨髄炎後の症例では長幹骨の近位部と遠位部の連続性が断たれてしまっているような重症例がいて、このような重症例にはインドの先生方も頭を悩ませていました。また、骨形成不全も多いような気がしました。ここでの手術の特徴は大腿骨側に2本のラッシュロッドを上下から髄内釘として挿入していることです。この方法だとTelescoping rodに比べて、安くて同等の効果が得られるとのことでした。1回の手術で片側の大腿骨・下腿骨を手術していました。その代わり、周術期の出血が多い場合は輸血が必要でした。骨形成不全でも歩行可能な場合は変形が極端になるまで放置されていることがあり、おとなになってから変形を主訴に歩いて来院する方もいました。さらにCongenital posteo-medial bowingについては、最近Dr. Hiteshが自然経過をまとめたとのことで、詳しく教えていただきました。

日本との大きな違いはインドでは医療費は全額自己負担であることで、医療費を払えない人は治療を受けられません。入院費用や手術費用は各病院の裁量に任されており、Manipalは平均より約3倍高く設定されているとのことでした。それでも設備投資や人件費を確保するために、Manipalではコスト削減に努めていました。インプラントの使用に消極的なのもコストの問題によるところが大きいように感じました。

その代りギプスの固定期間が長く、原則的に3か月はつけていました。また、脳性麻痺治療ではボツリヌス毒素は高価であるということで、代わりに40%アルコールを注射していました。効果はあまり変わらないということでした。文化の違いとしては、多民族国家であるインドでは患者への説明に複数の言語を使い分けなければなりません。だいたい出身地が同じレジデントやナースがいるもので、彼らが通訳をしていました。また、食文化の違いから入院患者に対する病院給食というものはなく、キャンティーンが病棟内で食事を販売していました。

インドで整形外科医になるためには、まず高校卒業後、医学部の入学試験を受けます。Kasturba Medical Collegeの定員は250人で、4年半で卒業し、医師免許の試験を受けます。卒業前の1年間をインターンと呼ぶそうです。そして3年間のpostgraduate schoolに進学します。Postgraduateといっても、大学院生として基礎研究をして学位をとるわけではなく、整形外科レジデントとして臨床研修をおこないます。整形外科の定員は年間6人と決まっていて、最も人気があるとのことです。修了後、整形外科の専門医試験に合格してようやく整形外科医として認めてもらえるようになります。小児整形外科はhighly specialisedに位置され、さらに研鑚を積まなければなりません。医学生と整形外科のレジデントを対象に講演を依頼され、私がそれまでAAOSで発表した、「Treatment for developmental dysplasia of the hip with the Pavlik harness: Long-term results」、「MRI of steroid-induced osteonecrosis in systemic lupus erythematosus (SLE): 10-year minimum follow-up」、「Age at onset is a risk factor of steroid-induced osteonecrosis in SLE-prospective study with MRI-」の3題を講演しました。

休みの日にはレジデントのDr. Alokがヒンズーのお寺に連れて行ってくれました。Dr.ShamsiはValley viewといわれる、理事長所有の湖に連れて行ってくれました。Dr. Hiteshは西海岸に連れて行ってくれました。Dr. Paramはお土産屋さんに連れて行ってくれました。いずれもガイドブックには
乗っていない観光地で、おそらく日本人で足を踏み入れたのは初めてでないかと思います。

滞在中にDean(学長)のDr. P Sripathi Raoのところへも案内してくれました(図3)。現在のDeanは整形外科の出身で膝の関節鏡がご専門ということで、大変気さくな先生で「2週間もいたらインド人になれるよ」と言ってくれました。続いて、Manipal University総長のDr. R P Warrierも紹介していただきました(図4)。小児科出身で血液腫瘍がご専門で、親日派の先生でした。部屋に世界地図が張ってあり、これまで訪れた都市にピンで印をつけていました。「日本も行ったことがあるよ」といって、写真や土産物を見せていただきました。Visiting fellowとしてのIDカードも作っていただき、気分はすっかりManipalの一員になったようでした。日本から学会公認の正式なfellowとしてManipalを訪れたのは、私が初めてだったということで、このように大変な歓迎をうけました。最終日にCertificateとManipalのネクタイをいただきました(図5)。
Fellowshipを終えた今、あらためて感謝の気持ちで一杯です。また、今後もMurakami-Sano Asia Visiting Fellowshipがますます発展し、本学会の会員がアジア諸国で貴重な経験を得られるように願ってやみません。このような機会を与えてくださいました、国分正一理事長ならびに亀ヶ谷真琴国際委員会委員長(当時)をはじめ、日本小児整形外科学会の会員の皆様に心より御礼申し上げます。

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