2006年度後期 Murakami-Sano asia visiting Fellowship バンコク訪問記

南郷谷整形外科医院
武田 真幸

このたび、日本小児整形外科学会、第4回Murakami-Sano Asia Traveling Fellowshipで、2007年12月3日から15日までの12日間マレーシアを訪問させていただきましたので、ご報告いたします。

マレーシアの人口は2,500万人、国土はマレー半島の南半分とボルネオ島の北部からなり、マレー半島の北ではタイと国境を接しており、ボルネオはインドネシアと接しています。国土面積は日本の9割程度で、人口密度は日本の5分の1程度といった所でしょうか。今年、独立50周年を迎えることもあり、クアラルンプールは大変活気にあふれていました。私がお世話になったのは、首都クアラルンプールにある、University Malaya Specialist Centre の整形外科教室です。クアラルンプールは、人口150万人ほどですが、高層ビルが建ち並ぶ近代的な都市です(図1)。携帯電話やコンピュータの普及も一般的で、ホテルはもちろん、町中にあちこちにインターネットカフェがありました。街も清潔で、アジアの中では治安が良いことも特徴です。

マレーシアの国教はイスラム教ですが、信仰の自由が認められています。マレーシア人は60%ほどがマレー系で、中国系が25%、インド系が10%程度であり、その他の少数民族も数多く暮らしています。マレー人のほとんどはイスラム教徒です。中国系は仏教が多く、インド系はヒンドゥ教が多いようです。

また、キリスト教徒も多くいるようです。多民族国家であるマレーシアでは、お互いの宗教、文化を尊重し合って共存していく意思を感じましたが、文化的な衝突がない訳でもないようです。国語としてマレー語が話されていますが、中国系の人々は中国語、インド系はタミール語を話す人も多く、お互いの意思疎通のために英語も広く使われており、カンファレンスでは英語が用いられていました。マレーシア英語は独特のアクセントがありますが、厳密な英語は使われないこともあり、慣れると日本人にも分かりやすいように思います。大学への入学基準の一つに、それぞれの民族の人口に比例して入学定員枠が決められているとのことで、医療チームの誰かが患者さんの言語的、文化的に知識があることになり、チーム医療の重要性を感じました。

滞在中は、University Malaya Specialist Centre (UMSC) 小児整形外科グループを中心に見学させていただきました(図2)。UMSCの整形外科では、研修医も含めたスタッフはすべて外傷チームに所属しており、外傷チームは、赤、黄、緑、青の色別に4つのチームに分かれていました。

外傷チームを基本とする一方で、それぞれの医師は手の外科、腫瘍、脊椎、関節外科、小児整形などのサブグループにも所属していました。このことから分かるように、症例の多くを外傷が占めており、とくにオートバイなどの高速度外傷が問題となっていました。クアラルンプールは車社会であり、オートバイも多く走っています。オートバイは二人乗りは珍しくなく、ときには3人乗り!も見かけました。また、国民の10%以上が糖尿病と言われており、入院患者の60%は糖尿病とのことで、糖尿病による壊疽のために入院している患者も多く見かけました。切断を承諾しない患者も多く、説得に時間がかかるようでした。

マレーシアの医学教育は、英国の制度を基にして創られており、大学医学部で5年間過ごした後, house-man(インターン)と呼ばれる1年間とmedical officer(レジデント)と呼ばれる2年間の合計3年間の研修医期間を経て、一般整形外科の専門教育が4年間課せられるとのことでした。その後は、公的病院で働くか、サブスペシャリティの研修を行うか、複数のコースがあるようで、英国での研修も難しいが可能であるとのことでした。公立病院と私立病院では、給料に10倍の開きがある(私立の方が高い)とのことで、私立病院へ就職するか、公立のアカデミックポジションで仕事をするのか、悩ましいとのことでした。

マレーシアは、アフリカ諸国や中東の国々、隣国であるインドネシアなどから留学生を受け入れ、レジデント研修を行っており, 国際色豊かな環境でした(図3)。同年代の医師たちが積極的に国境を越えて研鑽を積んでいる様子には、大変刺激を受けました。そのような関係で、医師同士の会話やディスカッションはすべて英語で行われていました。電子カルテも導入中とのことで、UMSCでは数ヶ月前にレントゲンシステムが電子化されたところでした(図4)。

滞在中はProf. Sengupta、Dr. Yong、Dr. Tan、Dr. Chuaにお世話していただきました。特に、Dr. Yongは食事の世話から観光案内まで、大変お世話になりました。

Prof. Segupta(スタッフからは敬意と親しみを込めて「Prof. Sen」と呼ばれていました)は、インド出身の冗談好きで、親しみやすい方でしたが、1960年代から70歳に近い現在まで現役として活躍されています。整形外科一般に対して高い見識をお持ちで、小児整形と創外固定による変形矯正を担当されていました。特に、マレーシアでの数少ないイリザロフ法の専門家として、精力的に治療されていました(図5、6)。

Dr. Yong、Dr. Tanは私と同年代で、小児整形のスタッフとして、いろいろディスカッションができたことは、よい思い出です(図7)。週1回の小児整形外科グループの手術日には2歳の先天股脱の治療としてSalter手術、10歳の巨趾症手術、6歳のビタミンD抵抗性くる病の内反膝変形矯正手術を見学させていただきました(図8)。
Dr. Chuaはマレーシアでは数少ない足の外科の専門外来を担当しており、精力的に診察されていました。

小児整形領域では、先天股脱や内反足が中心でしたが、思いのほかBlount病の割合が多く、内反膝の矯正手術も多く行われていました。地方では交通の未発達や貧困などの問題もあり、内陸地や遠隔地に住む患者さんの経過を確認するのは難しいようで、可能な限り一度の手術で終わらせるように治療方針を決めるとのことでした。

全体として、まず身体所見と病歴を重視した診察が行われており、そのうえで必要な検査を絞り込んで行う方針でした。単純レントゲン撮影さえも、必要な理由を明確にしてから最小限の撮影にしているようで、参考になることが多くありました。

病院での見学は主にUMSCの整形外科で行いましたが、Selayang Hospital、National University of Malaysia Hospiral (NUMH)にそれぞれ半日見学へ行きました。NUMHでは、日本から持参した、脳性麻痺の外科治療(整形外科的選択痙性コントロール手術:OSSCS)での股関節治療について、レクチャーの時間をいただきました。NUMHでは障害児のリハビリテーションにも力を入れていることもあり, 熱心に聴いていただきました。NUMHのProf. Sharafは10年ほど前に日本を訪問したことがあり, その際には、私自身が勤務経験がある、福岡市立こども病院と福岡県立粕屋新光園を訪問されたとのことで、たいへん懐かしいとのことでした(残念ながら、当時は私は勤務していませんでしたが)(図9)。

今回は主に近代的な大都会クアラルンプールに滞在しましたが、マレーシアは自然も大変美しく、次回訪れる時は、ぜひその豊かな自然を味わいたいと思います。

最後に、国分正一理事長、亀ヶ谷真琴先生をはじめ国際委員会の諸先生方、また本Fellowshipに応募するにあたって強く励ましていただいた藤井敏男先生に感謝申し上げます。貴重な体験をさせていただきまして、本当にありがとうございました。アジアの医師たちと交流し、刺激を受けることができる本Fellowshipが今後とも継続され、本学会会員の皆様がすばらしい体験をすることができますよう、願って止みません。

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